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◆ 第15回 主なテーマ 「音」をテーマに、写真満載、かなり深いかと・・・

イエペスは強い音出すのは特別な技量があったよ。この辺にふぁーって雰囲気を作るっていう音では訳ではないわけ。なんか直線的にパーンと飛んでくる音だね。すごく大きい音。

で、10弦で、もちろん僕が始めて聴いたのは、1969年に名古屋に来たイエペスなんですが、10弦だったんですね、ものすごく音がでかかったですね。でもその後で、みんなイエペスを信奉して10弦を学んだ人の演奏を聴くと、10弦って鳴らないと思う。6弦より鳴らない、6弦より鳴ったのを聴いたことがない。
つまり、遣いこなしてないのだろうね。押さえる所が多すぎるし、右手の役割が弾いたり消したり、あれでもう大変なのではないか?

それが、単純に音でポーンと鳴らしただけで、響いてないんです。でも、イエペスは響くんですね。イエペス最高は僕はコンチェルトだと思うのですが、ノーマイクで聞こえるという事では、山下和仁、イエペス、これが東西の横綱ですね。今でもそう。今はみんなマイクを上手に使ってやるようになりましたけど、ノーマイクの場合は。でも10弦があれだけ鳴るというのはね、イエペスだけというのは不思議ですよね。

イエペスのタッチってすごく独特で、ここの手首がぐっと、こういう感じに前に出ている。こういう感じが・・・

(な、に向かい)イエペスは生で聴いていないよね。
聴いてないです。
ぎりぎり聴けない世代ですね。
もう少しギターを早くやっていれば、多分・・・

聴けた人もいるとは思うけど、聴けても聴きたくないみたいな(笑)

1970年生まれ以降の人は多分もう、イエペスはないし、セゴビアもない。

イエペスはあまり好かれないで終わったけど、やはり独自のテクニックを作り上げた人でね、唯一無二だものね、あの後いない。

僕は6弦時代のサンスのスペイン組曲だとか、スカルラッティのソナタとか、魔笛とか、あれ弾いているのはすごく好きですよ。10弦になってからのは好きではないけど。

6弦の後半の時のテクニックっていうのは、またあるね。10弦の時は、また別のテクニックが。

音楽もすごくエキセントリックになったし、10弦になってから・・・どんどんやはりセゴビアと違う事を、反発的な、純粋に音楽的ではなくて、セゴビアと違う事をやってやろうとする・・・
彼が右なら俺は左にいく、ような。
ただ、俺は左、じゃなくて、右に対する反発の左の様な感じがする。音の出し方もね。
本当はこれ好きじゃないのだけど、しょうがないからこれやってる、みたいな所があったね。

何かこう、作為が、さっきの話の野心ではないけれど、イエペスのやり方にも野心というよりは、セゴビアに対する反発なのかな、そういうものを感じたから、とても不自然に感じたのかも知れない。その行き方にね。それを感じたかな。

他の楽器で云うとね、グレン・グールドなんか割に似たところがある。グレン・グールドは、まあそれで広く人にも認められたし。

グレン・グールドの方がはるかに認められていますよ。他の楽器というか、今のあるピアニズムを飛び越えたバッハ論とか、そういうところまで影響を与えたじゃないですか。だからその辺りが世界がデカイというか。

うん、まあこれと比べては失礼なんだろうけど。こんな位に評価が離れてしまったけど、やったことは似ていないこともない。

そうですよね、こういう言い方は軽くていやですけど、ギター界のグレン・グールドかも知れないですよね。イエペスは。

例えばね、ピアノで左手のドソミソなんていうタタタタ、タタタタっていうのあるでしょう、あれピアノでは必ずスタッカートで弾くの、

テヌート・スタッカートですね。

ギターであれをね、スタッカートで弾くのはすごく難しい、開放弦が入ってくるし。ジュニアーニのソナタだとかね、

ああ、おみその・・・ミソミソのですね、アレグロスピリッツ。

あれとかね、ソルの練習曲の2番とかね、ああいうのをイエペスはねスタッカートで弾いているのだよ。

全部ね。
あれをスタッカートで弾くのは大変な騒ぎだよ。
しかもソルのエチュードはセゴビアの厳然たるものがあって、ジョン・ウィリアムスも全部20曲入れたりしたじゃないですか、ウェストミンスターで。だけどその後逆らうようにしてイエペスが24のエチュードで、しかも全部、1番(口ずさむ)を最初から全部運指が違うんですね、
ああ、運指違う。
イエペス・エディションですね、それは全部コンセプトが違う。という事をやったんですね。

24のエチュード、あれ家にレコードあるんだけど、かけすぎてすり切れてて、ろくな音が出てこない。あれどこかでCDになっていないのかな?

イエペスのですか?・・・ドイツ・グラモフォンですからね、グラモフォンのプレーヤーになるだけですごいですからね、
70年位からロンドンからグラモフォンに移った。
ロンドンだってすごいよね。
でもロンドン・レーベルの時のイエペスって音、良くないですよね。グラモフォンになった時、マイクが遠くなって
まあ、その分ホールの音をひろう。
という感じにしたの。
グラモフォンってそうだよ。グラモフォンの録音がそう。
そうでしたね。
この間、グラモフォンでもね、ポリーニの新しいショパンのノクターンを買ったらね、
それ録音は新しいやつですか?
そう、新しいの、最近出たの、去年位。それがね、ピアノじゃびっくり、鼻息が聞こえるわけ。
あ、ついにそこまで・・・でもそれグラモフォンっぽくないですね。

うん、グラモフォンっぽくない。

チェコのスプラフォンとかなら、そういうのを売り物にしていたけど。

ギターだったら解るのだけど、あの音で鼻息が聞こえるっていうことは、一体どこにマイク置いたんだろう、って話。グラモフォンの考え方が変わったのか、それとね、ポリーニも若い時の演奏では全然ないよ。片鱗がもう無い。何でこんなになっちゃったんだろって。
録音がですか? 演奏が?
演奏が。いや、悪いけどつまらなかった。ポリーニのショパンのエチュード弾いていた時の方がずっと良かった。
   
 

(このように申し上げましたが、後日、ある音楽誌を見たところ絶讃されていました。不明を恥じて、もう一度聴いてみましたが、やはりあまり好きな演奏ではありません・・・ま)

   
昔のでしょ。だって当時からポリーニはセゴビア並みの入場チケット料だったじゃないですか。
ああ、高いだろうね。
  

ショパン・コンクール入って、しばらくその後止めましたものね。

   いや、実は仕事がありすぎてね、疲れ切って、演奏活動止めたね。それから70年代にもう一回出てきて、それからがいいよね。ショパンの練習曲のレコード出た時に、その帯に書いてあるの、これ以上何を望みますか、って。日本盤につけたのかどうか知らないけど。よくぞ書いたな、と。でもそれ位すごいショパンの練習曲だった。
  

ポリーニが出た頃からグラモフォンって音の録音の仕方変えたんではないでしょうかね、ポリーニが変えさせた?

いや、そんなことは・・・
ないですかね、やっぱりグラモフォンはもっと昔からの・・・

それはオーケストラ録る、ピアノ録るによって違うかも知れないけどね。ホールの中で響いているという録音だよ。

でもエンジニアとか、プロデューサー変わると変わりますよね、佳織ちゃんのデッカって、それまでエドワルド・フェルナンデスとかギター録るのすごくヘタだと僕は思っていたんです。メジャーレーベルなのに。だからデッカに移ったときメジャーレーベルだけどヘタだからイヤだなと思ったのですが、佳織ちゃんの録り方は、全然デッカのイメージじゃなくて、だからディレクターとかサウンドクリエーターの連中が変わったから全然違うんだなと思いました。

セゴビアのCDってデッカですよね。
大昔デッカだね。アメリカ・デッカ。
今の佳織ちゃんのデッカは、昔のロンドン。

イギリス・デッカ?

うん、ドイツではテルフンケン・デッカ、テルデックという。だから同じ外盤買うのでもやっぱりテルデックの方が音がいいとかいわれた。
音の話なので、例えばソニーの昔のジャニス・ジョプリンでも何でもいいのですが、ソニーのアメリカ盤とイギリス盤で音が違う、あったでしょ、ジョン・ウィリアムスもソニーでしょ。

CBS。

あっ、CBSソニーですよね、で、アメリカ盤とイギリス盤で音が違う、ユージン・オーマンディ指揮のフィラデルフィア管弦楽団のイギリス盤のジョン・ウィリアムスのアランフェスとアメリカ盤ので、全然音が違うのです。あれ何なんでしょうね?あの頃必ずイギリス盤、アメリカ盤ってありましたよね。
それは、さっきのロンドンデッカとテルデックの違いみたいなもので・・・
音源は一緒?
音源は一緒。でもプレスの場所が違うでしょう?
マスタリングが違う、する人が違う?
  

多分、マスターテープまでは同じ。それから原盤おこしが違うという可能性もある。原盤まで同じ、プレスだけが違うという可能性もある。これが多いと思うけど。プレスが違うという事は、プレス技術が違うという事も考えられる。

厳然たるものは、今の日本盤ボーナストラックと違って、CDの、日本盤っていうのもあったじゃないですか、日本盤と輸入盤は絶対に音が違うと云われましたね。

よく云われた。

槇さん、その辺りの見解は?
いや、比べてないから、外国盤しか買ってなかった・・・

もう、それだ!!!
 (憤然として席を蹴る)

CDもそうだけど、安いんだもの。3割から5割引き。だから日本盤買う気しなくなるよ。レコードもそうだったよ。別に深い意味はなかったんだ。
(小声でボソボソ)
それでね、マスターテープからマザーという複製を作って、それからさらに複製、これをスタンパーというのだけど、そのうちどこまでを本国で作るかレーベルによっていろいろあるらしい。中には製品のプレスまでして販売国ではジャケットに入れるだけというのもあるらしい。これだとまったく変わらない。こういうのは少ないらしいけど。だから、どの段階から販売国のレコード会社が関わったか、そしてその技術はどうかということで・・・

音造りというよりは、技術の結果として音になったと。
うん、そうかも知れない。国によって同じレーベルで違うとすれば。
こういう音にしたかったというよりは、こういう音になったと。
音にしたかったというのは、グラモフォンとロンドンで音が違うとすればそういうことになる。
そうですけど、例えばアメリカ盤とイギリス盤とか、結果としてそうなったと。

でも結果といっても、プレスも何種類か試してこれを採ろうという事もある。一番いいと思うその会社のやり方でやっている。

プレスの機械の優劣もある?

あるでしょうね。プレスの機械なんて世界中にそんなに数を売る物ではないだろうし、全部特製品かも知れない。全部がカスタムメイドかも知れない。

(中座していた「さ」戻る)
僕はちょっとこった場合は必ず2枚買いました。アメリカ盤、イギリス盤と。なぜ違うのかわからない・・・

今、云ってたの、マスターは違うの? って。

マスターは一緒で、原盤も一緒で、その原盤からいくつか複製を作る、それが各国によって違うんじゃないか。それがひとつと・・・

でも複製を作るのだったら、その複製を作る機械の優劣ってあるんじゃないかしら。
それが、原盤というのは一つで、各国に渡すときに複製を作っているのは大元で作っていると思う。
ちょっと面白いなと思ったのは、わかりやすい例で(「か」にわかりやすいという意味)ジャニス・ジョプリンというアメリカのブルース歌手なんですけど、ジミ・ヘンドリックスなんかと一緒にやった人ですが、あれはギンギンアメリカでしょ、なんだけど、イギリス盤というのが存在したの、CBSで、僕は両方持っているのだけど、アメリカ盤より圧倒的にイギリス盤の方が音がいいんですよ。

・・・そういう種類の音楽だとマスタリング変えている可能性もあるよね。

ロック、ブルースですよね。

その国の好みに合わせてね。
それでジャニスの場合は全部両方のLP持っているのですが、イギリス盤の方がダイナミックレンジが広いんです。感じで。あれは何なんだろ?
あ、それはリミッターのかけ方だね。
そうか・・・、アメリカ盤のが、こう、狭いんですよ、
フォルテとピアノの差
しかも、これはアナログとデジタルの話にも繋がるのだけど、アナログの方が遠近感があるんですよ、
あるある、絶対ある。
アナログで聴いた方が、CDで聴くとあまり遠近感がないんですね。水平思考というか、しかもアメリカ盤の方が低音と高音域の差がないのですよ、なんというか距離が近い、同じ曲なのに。イギリス盤で聴いた方が低音と高音の距離が聴いていて幅がすごくあるように聞こえるのですね、レコードは。
さっきギターである程度以上力を入れると音が割れちゃうと云ったけど、あれはオーディオの世界にも当然あってね。
振り切ってしまうやつですよね。
振り切ってしまうと音がだめになってしまうから、上は例えば80で切っちゃうとか、こういうのをリミッターという。それを80で切る所と70で切る所、100で切る所とあって。
最も切ったのが日本盤ですよね。多分日本盤というのはね。
それも一つ、これはマーケットの要求でね。だって、あれを何百万もするステレオで聴く人はあまりいない訳でしょう? そこでしーんとした部屋でまっすぐ向いて目をつぶって聴く人はいない。そこで、どういう場面でかけられるかを想定して作る訳だ。そうするとCDラジカセで聴いてちょうどいい位でいい、というにはダイナミックレンジ大きくとったらだめだよ。だってピアニッシモはノイズに埋もれるし、フォルテは割れちゃうし。だったら全部メゾフォルテで鳴らしていたらいい。
要するに真ん中にあわせたらいいと。

だから想定したリスナーの条件を考えてレコード作りするだろうから。

イギリスにはそういうのがなかったという事ですね。

だからイギリスの方がリミッターをもう少し深くというか、浅くというか広くとって。アメリカや日本は狭くとって、万人に聴かせるように。
そういうことからはずして、ふと思ったんですが、昔LPの時代って楽器の違い、例えばジョン・ウィリアムスが60年代の録音の時はアグアドだねとか、で、僕が一番思ったのは、ジョンがフレタの杉にして音がぼけちゃったね、っていう話、あのバッハの全集を・・・
ああ、全集あったね、あれよくなかったね。
よくなかったでしょう? それまで単発で出していたのに、初めて、あの企画は最高じゃないですか、リュート組曲全曲2枚組で。
あれ聴いたときね、ジョンっていうのは初見で何でも弾けるそうだから、これ初見で弾いたかな、と思ったよ。
それだけ浅いと思ったんですね?
うん、見事にさーっと楽譜通り弾いている。それだけ。
僕たち友達と、音の話をしていて、これね、やっぱり杉のフレタって良くないね、楽器変わっちゃったよね、と。わずか2〜3年前にジョン・ウィリアムスがアグアド携えて、マイクを通さない最後のコンサート、1971年9月がね、あれが最後ですよ。
そんなにもう・・・
で、アグアドだったんですね。しかもその前のしゃりんしゃりんのアグアドの・・・
あのアグアドよかったねえ(しみじみ)。
よかったですね、録音も最高でしたよね。で、あの頃ってそういう話題があったじゃないですか、音で。これは楽器を変えたな、とか、それがね、CDになってから楽器をね、ジュリアン・ブリームなんかはいろいろ楽器を変えた最たる人なんだけど、それをいろいろ詮索して、これはルビオだね、とか、リュート組曲は何だとか、あったですね。
リュート組曲はブーシェだよ。
ね、あの本でわかったけど、それがLPの時代、今から云えばはるかにテクノロジーが低い、の方が違いが分かったじゃないですか。楽器の違いが。今のCDだと楽器の話題出ないもの。これ楽器が変わったね、という話は全然でない。これ音がわからない、CDは加工してるし、化粧しちゃってるから、素顔はどうなの?お化粧とったらどんな顔なの、あなたは・・・っていうのがCDは分からない。音が。
出ないですね。
「な」クンの世代で、これ楽器が何だろっていう、CDを聴いてあんまりしないでしょう? いい悪いじゃなくて。
う〜ん、ただ録音がいいとか悪いとか。
この音は解像度があるとか。
そう、心地よいか、悪いかとか。そういう考えですね。
デジカメの写真、そのものだよ。デジカメの写真とか、今のなんとかいう液晶のテレビ、隅から隅まで明るいのよ、あんなはずないんだよ。
ハイビジョンなんてだめ?
そうそう、例えば楽器の後ろにあれがある、っていう感じに全然見えないから。みんな並んで見える。
えっ、でも家は今まで電波障害の環境で見てたから、すごくきれいになって、ハイビジョン見てたら立体的に見えるような・・・
それメガネが発明されていなかったのにメガネをかけた位の事でしょ(笑)それはレベルが違う話。レベルが少し違う話なの。
そうか・・・でも立体感があるように見えるけどな。ハイビジョン(しつこい)
いや〜、だからそこでね、さっきのソムリエの話じゃないけど、もう立体感っていっている意味が違うのですよ。
そうか。なるほどね。
CDになってからね、こういう仕事してるから、音の違い聴きたいなと思うのだけど、はっきり云って楽器の違いわからない。
わからない、それにみんなエコー付けちゃっているからさ。
CDでトーレスの何とかを探るとか、全然わからない。
じゃ、ある意味、生がより貴重になったという事ですね。

これについているCD、わからないよね。
「La Chitarra di Liuteria」

わかんない、こんないい企画なのにCDで聴いて、全然わからない。歴史的銘器を全部弾いているわけね、素晴らしいのをね。
みんな同じにきこえるの。
えっ、そうなの?
槇さん、そり通りだよね。ほんとにCDになってから楽器を変えてもわかんない、楽器をかえてもその操作する、マスタリングなどの操作も多いし、自在に要するに生の音じゃなくてもCD芸術として、CDって芸術ですかね???
技術。
あっ、それ! CD芸術はない、レコード芸術という本はあるけど、CD芸術という本は出ない! CD技術ならいいけど。

だから、例えばオートフォーカス、みんな合っちゃうように。全部同じ音に作ってしまうのではないかと思うほど、それほど同じ音に聞こえる。
ブーシェの音なんて、どこかにきっちり留めておきたいものだね。

プレスティ・ラゴヤくらいですかね、残っているのは?
それと、ブリーム。リュート組曲とか。ブーシェの音がしてるよ、あれは。
やっぱりそういうの、焼き直しですごく昔の録音が稚拙だった頃のをCD化して、セゴビアのみたいに、ほらあるじゃないですか? 蘇らしたというけど、僕はあんまり蘇ったと思っていないのです。あれは例えば、昔の映画をリメイクするってあるじゃないですか、それは昔の稚拙なままの、プチプチ・・
昔のままのプチプチ云ったりするのはそうなんだけど、レコードを作る上での技術的なものというのはね、50年代から60年代に、もう完成していて、あんまり稚拙でもない、もうそこで完成している訳。だから今いろいろな時代のレコード聴いていて、60年代のレコードっていい音がする。そして、それをCDに作り直したものでもそれなりにいい音がする。ただ、80年以降のCDっていうのは、みんな同じ様な色。

・・・つづく・・・
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