早いものでメディア・カームのホームページが開設されて一年がたちました。
一周年記念として製作家松井邦義さんにご登場頂きました。今や日本を代表する人気製作家の一人として活躍中の松井さんです。私共とはもう20年以上のおつきあいになりました。趣味はバイクという意外な一面もお持ちの松井さんです。一人息子の啓泰くんも一緒に遊びに来てくれて、明るく楽しい対談となりました。
酒井 それでは、ギター製作家の本音に迫るシリーズインタビューも今回第2回目、前回第1回目は今井さんだったんですけど、約1年を経てですね、ようやく多忙な中をおいでいただきました、松井 邦義さんに今日インタビューさせていただきます。まあ、気楽にいってください。
松井 はい。
酒井 前回今井さんの時にもいろいろ脱線してちょっと長くなりましたので(笑)、今日はまあある程度インタビュー形式という事で。まず月並みなんですが、お生まれになった年とか、出身地ですとか、その辺を。
松井 生まれは1950年の、12月10日、いちおう東京で生まれました。
酒井 それで、ギターをお作りになられる時に、このギター修行歴みたいなですね、といいますか、順番が逆になるかも知れませんが、どうしてギター製作家になろうと思ったのかというのから先に行きますか。
松井 はい。
酒井 では、まずその、ギターの製作家になろうと志されたたきっかけとか、大きな転機があったとかですね・・・
松井 それが、非常に面白いですね。なにせ、まあ・・・あの、サラリーマンやってる時にですね、とあるサークルでヴァイオリンを作っていられる方と知り合いましてですね、それで、ああ、こういう商売っていうか・・・
酒井 サラリーマンというのは、どのようなお仕事を?
松井 サラリーマンは、技術系の、まあちょっとした・・・サラリーマンを(笑)
酒井 という事は、学校がそういう理工系のご出身なんですか?
松井 そうですね、工学部の機械科を出まして。
酒井 学校はどちらなんですか?
松井 明治なんですけども。
酒井 ラグビー部とかが・・・
松井 ラグビーは・・・当時からいちおうラグビーのファンになりまして。
酒井 松尾と同じぐらいですかね?
松井 そう、松尾が・・・俺のほうがちょっと先輩なのかな? 彼が海外でやってるのに、あのボール拾いはなんだって、面白い競技があるな、なんて、それからやみつきになったんだ。
酒井 まあ、ちょっとそれは置いといてですね(笑)。
松井 それで、まあ、ヴァイオリンメーカーの人に、そういう、手作りでモノを作る、楽器を作るっていうのを、当然といえば当然なんですけど、そういう世界を今まで考えたこともなかったんで、工房にお邪魔して、それで、こう、こつこつ自分で楽器作って、で、当時まあ、フォークギター、ガサガサ弾いていたんですけども、自分で楽器を作っちゃえばいいかな、なんて思ったのがきっかけですね。
酒井 はあ。で、今の、フォークギターなんかをがちゃがちゃと弾いていたというお話なんですが、製作者の方って、今までいろいろな方にお話伺っていますけれども、ギターを弾いていたっていう方って多いんですよね。で、そのフォークは、どのようなプレイヤーの?
松井 当時はもう、拓郎ですよね。
酒井 ジャパニーズフォークですか。
松井 そうですよね。
酒井 ウェスタンフォークではなくて?
松井 そうですね。それで、まあフォークソングから入って、それから、やってるうちに、やっぱり、ブルースのほうが好きになってきて、まあ、当時だと、ニグロブルース、デルタブルースっていうんですか、
酒井 かなりディープな。
松井 で、当時やっぱりそういうのが少しブームだったんで、向こうの黒人のおじいちゃんたち、ニグロブルースの人が大挙して日本に来て、かかわったんですね。
酒井 それは、30年近く前の話になりますかね?
松井 そうですね、そんなんになりますかね。年とっちゃいましたねえ(笑)。
酒井 (笑)。まあじゃ、その辺が、松井さんの音楽のルーツ?
松井 そうでしたね。
酒井 そのルーツから、そのヴァイオリンの製作者にお会いして、今度は楽器本来を作ってみるとかそういう事にちょっと興味を持たれたと。
松井 そうですね。
酒井 それで製作者のところに行かれた?
松井 そうです。それで、紹介ちょっとしてもらって、とりあえず楽器作りを覚えようと。
酒井 それはサラリーマンを続けながら、っていう? あ、その時は、ちょっと見学に行ったと?
松井 いや、もう、乗り換えっていうか、うまい事に、なんか、やるならスパッと、とことんなんかをやろうという、そういう意気込みで・・・まあ、やっぱり今考えると本当に若いからできたんでしょうね。なんか、スパッと乗り換えてしまったというか。
酒井 サラリーマンは、何年ぐらいやったたんですかね?
松井 あれは・・・2年半ぐらいやってましたね。
酒井 それで、ある製作者のところに弟子入りしたという感じでしょうか?
松井 まあ、そうなんですけど・・・詳しく言うんですか(笑)?
酒井 ええ、ちょっと、そのお名前等々(笑)・・・その先生といいますかね。ええ。それはどちらの製作者の・・・?
松井 ええと、茶位幸信さんのところに。いちおう、門をたたきまして。
酒井 そこでは、えっと、茶位さんといいますと、ヴァイオリンも作ってらっしゃいますよね?でもヴァイオリンを作ろうというのではなく、最初からギターを?
松井 そうですね。当時彼のところは、ギターだけでしたから。
酒井 かなりお弟子さんとか、いっぱいいて?
松井 そうですね・・・あそこは当時仲間が7、8人いたかなあ・・・
酒井 それは何年頃でしょう?
松井 それは・・・俺があそこにいたのは・・・76年。
酒井 76年ですか。
松井 そこに2年いました。
酒井 2年・・・今井さんと同じく自主的年期明けということですか・・・。
松井 はいはい。厳しい修行でした・・(笑)。
酒井 その当時一緒にいらした方で、今現役で製作を続けてるって方は?
松井 ・・・先輩では、石井栄さんですね。あと、今アメリカの方でヴァイオリン作っている松田テツオさん・・・その2人が先輩で、直接、少しお仕事も一緒にしたっていう。
酒井 それで、そこで2年厳しい修行をされて、そののち、この、松井さんの松井邦義ブランドで出した最初っていうのは?
松井 最初はねえ・・・79年あたりだと思いますね、確か。
酒井 もう最初の頃からのおつきあいだと思うんですけれども多分、えー、1本ですね、これちょっと余談になりますけど、あるヤマハの教室に松井さんの楽器が1本あったんですね。最近直していただいたと思うんですが、ラベルが違ってましてですね、僕が初めて見たのとちょっと違っている、本当に初期のその作品が、「K.MATSUI」っていう。あれが多分最初の・・・
松井 あれはそう、本当にまだ、シリアルナンバーでいうと、ひと桁台の時だよね。
酒井 ああ、貴重ですね。
松井 何故そういうのが残ってるかなあって(笑)。
酒井 ちょっとびっくりしますよね(笑)。で、それを始められたのが70年代後半ですね、ちょうど、ギターブームがそろそろ翳りが出てきた頃だったですね。僕なんかもこの業界入ったのが77年ですから、非常に同じような立場で・・・僕は売る方で、松井さんは作られるほうで。
松井 だから先輩たちの話聞くとうらやましいのね(笑)。何でも楽器が売れたという時代があったらしくて。
酒井 作れば売れた。
松井 私は作っても売れなかったという(笑)。
酒井 いいものを作っても。いやいや、でも最初に作品を、僕もまだ今から20年前だと思うんですが、最初に見せていただいた時に、とってもこう、雰囲気が、当時の日本の楽器って、どっちかと言うとスペイン系の楽器をめざしていたのが多かったんですけれど、すごくこう、クラシカルなっていうか、ヨーロッパスタイルな、ラテンではない感じが・・・音色の作り方とかですね・・・したんですけれども、やはりその、最初の頃というのはですね、目標にするような製作者とかいらしたと思うんですけども・・・
松井 そうですね。やっぱり、最初に茶位さんのとこにいる時にいろいろ修理の楽器を見た中で、いいな、と思ったのがやっぱりロマニロスだったんですね。高音が素晴らしい鳴りをしていましてね。で、ボディは小さいわりに、まあ、小さいから高音のハイポジションがいい鳴りしていたのかも知れないけど、輝くような鳴り方していて、えらく感激して、で、ちょっと作ってみたいなと思って、そんな時にやっぱり、彼も初来日していた時期だったんですね、確か。それで、まあちょっとお顔を拝見したり、ちょっと話できたんで。そんな時に彼は、楽器作りには秘密はない、やっぱりハートだよ、って。やっぱりそうじゃないかな、なんて思ったりしていた時期だから、余計、もう陶酔してしまったっていうか。それで、そんな事をしている間にここにあるギターの雑誌をですね、そんな中にロマニロスの工房の写真なんか出てますね。
酒井 「ザ・ギター」ですね。
松井 そんなのを一生懸命読みながら、ああ、本物の作り方っていうのはこうなのかって。これがやっぱり伝統的な作り方、今もやっぱり作っていると思うんですけれども、伝統っていうにも、作り方とかその、いろんなものには伝統っていうものがあって、その中で培われた物っていうのがやっぱりあると思うんですよね。で、やっぱり、俺なんかは、ちゃんとしたそういう本場の伝統っていうのをほとんど勉強できなかったけど、本場で勉強してきたネジメ君とかそういうのに、教えてもらうと、やっぱりちょっと違うかなあ、ここはこういう風にしたらいいんじゃないかな、っていうのが、ロマニロスの時も感じたし、今もまだ感じていることなんだけど。
酒井 今も研究中、前進中という。
松井 その通りですね。
酒井 そうですね、その20年前、ロマニロスっていうので伺って、ああ、そうかと、思い起こせば、全体の雰囲気とか、まあ、形もそうでしたね。とっても、当時のロマニロスに似ている雰囲気が確かにありましたよね。それがもう今から20年前で、今もう松井さん、本当に楽器が順番待ちのような状態になっているんですけど、ここ20年でかなりその、音の目標とかですね、好みとかですね、求めているものが変わってきているかなあ、と。ざっとこの20年はですね、こういう風に変わってきたぞというような・・・なかなかこういうインタビューってないんで、その辺をちょっと。企業秘密かも知れませんが(笑)、傾向をですね、ざっと、年表のごとく、この時代はこういう傾向で、というのをちょっと話していただければ・・・結構このホームページを見ていただく方、そういうのが、マニアックにいきたいかな、と。
松井 そうですね・・・、作っていてもそうなんですけど、あの、修理で高い楽器をお預かりしたりして、調整とかで見させてもらったりして、そんな中で、まあ、自分の欲しい音っていうのはあるんですけど、そんな中でやっぱり、そういうのをいろいろ見させてもらっている中で、あの、なんて言うか楽器の性能っていうんですか、そういうのが少しづつ、私自身がわかってきたんじゃないかと。そういう風に自分の中で少しづつこなれてくると、それがね、あの、微妙にその、自分の作品に反映してくるような気がします。
酒井 この世界のいろんな楽器をですね、修理されると、かなりつっこんだ所まで、中まで調べるわけですよね。調べるというか、直す時はそうしないと直せないところも多いでしょうし。
松井 自分の中でその、楽器の性能というんですかね、その、音の出方とかそういうのは、1回こう、咀嚼するという感じがある・・・自分の中で少しあると、それが作品に少し出るみたいな、今のところそういう気がしますけどね。
酒井 ああ。やっぱり音もね、形にも何もないものですからそういうところは・・・ただ簡単にまねる・・・って言ったら変ですけど、その、ある名器とか言われている楽器のまねをしてもそうなるわけじゃないですよね。
松井 そうなんですよね。だから、いろいろ、設計がみな楽器によって違いますけど、同じように作っても同じ音にはなりませんからね。
酒井 そうですよね。
松井 だけどそこで、自分の中で咀嚼、まあ、どれだけわかるか・・・わかってるかという事が問題じゃないかというように思っていますけどね。
酒井 そうすると先ほどのこの、変換ですよね、楽器の松井さんの中での音の、ベストの音の変換・・・最初ロマニロスですよね、で、これが70年代・・・80年代入ってもしばらくロマニロスですよね。
松井 そうですね。しばらくそうだったと思いますけどね。それで、やっぱりあの、小さいボディだったんで、だんだん、もうちょっとボリュームが欲しくなってきて、そんなんでいろいろまあお店の人たちとも話して、で、少しボディを大きくしてったんですよね。
酒井 そうでしたですかね。
松井 そうするとまたそこでいろいろ問題が出てきたり・・・
酒井 それを、少しボディのサイズを変えたっていうのは、80年代の半ばぐらいですかね?
松井 そう・・・確か・・・もうちょっと前かも知れないけど・・・、で、そんな事をしている間に、まあ、今井さんにメッセに連れていってもらったりして。
酒井 その、メッセに行きはじめたのは・・・?
松井 86年かな? それで、ま、当時もね、ああいう楽器をよく外国に持っていったなとは思いますけれども(笑)。
酒井 (笑)。ああ、ドイツですよね、メッセってのは。あ、その頃からですよね。松井さんの楽器がドイツで、少しづつ知られて、プレイヤーにも使われるようになって・・・
松井 やっぱり、音色とか、バランスですね、それとボリュームなんかも要求されるようになるから、どうしても少し、設計を替えたり、型も変えたりして、そして試行錯誤して、今日に来たんですけどね。
酒井 ああ、ちょうどそれが、えっと、あ、今よくわかりました、僕もあの、松井さんの楽器をこれで20年間扱わせていただいてて、確かに80年代半ばぐらいからちょっと、それまでの松井さんの、繊細でですね、こうちょっと陰があって・・・ひ弱な・・・ひ弱なっていうと言葉がよくないな(笑)、繊細なんですよね、よくコンサートなんかで聴きますと、音が繊細な、でももう一つこう、前にくるといいなというような・・・があったのが、徐々に変わっていったのがその頃ですよね。音量という意味ではなくて力強さ、ベースの深いというか・・・
松井 そういうの要求されるからね。
酒井 ドイツで松井さんのクラスというか、まあ今井さんもそうでしょうけど、ハンドメイドの、外国製の・・ある程度金額するわけですよね。
松井 高くなりますね。
酒井 そういう物を使う人っていうのは、やっぱり、プロフェッショナルのギタリストっていうのが多いからですね。
松井 そういうプロ目指している人たちが使いますから、要求厳しいですからね。そういう要求を満たしていかないと、また次に注文来ないですからね(笑)。厳しいよね。
酒井 それが80年半ばで、ずっとそれで80年代来ますよね、で、その後、90年代ぐらいで、どうですか? 何かこう、いろいろ、いろんなことをまた、し始めたというか・・・
松井 あのね、一通り自分の中でやってみたいなという欲求がどんどんふくらんできたんですよね。で、こういうのも、こういう設計のやつもやってみて、やっぱり、自分の中にとりこんでいって、で、どんどん自分の作品のなかに生かせるといいなという考えもありまして、で、まあ、いろんな設計の物も作るようになってきた。
酒井 ドイツでもそういうプレイヤーの要求というのを受けて、80年代作りはじめられて、それでだんだんその後も、今度は日本でも、ギタリストの方と直接いろいろ、中には楽器にも大変うるさいギタリストの方なんかも、いい楽器をお持ちの、いらっしゃいますからね。かなりそういう方とのディスカッションというか・・・
松井 そうですね・・・そういうのもありますしね。
酒井 その辺で、今度は、具体的に楽器は、どういう楽器が気になったというか・・・実名で・・・
松井 気になるのはやっぱり、ブーシェだったですね。
酒井 その辺からはブーシェ。
松井 あと、前々から、フレタなんかも、もっと研究してみなさいよと言われていたんで・・・
酒井 あれ? フレタとブーシェは、同じ時期ですか、気になりだしたの。
松井 気になったのはね、まあ、フレタのほうが先だったんですけどね。でも、フレタ見させてもらって、いろいろ見たけど、なかなかね、これだっていうのがわからなかったんですよ。だけどある時にちょっとわかった事があって。
酒井 またこれも細かい話しですけど、そのフレタっていうのは1世ですか? 今、1世、2世、あと2世だけってありますけど、これ、かなりマニアックにいきますと(笑)、やっぱりフレタだと言ってしまえばそうなんですが、細かく見ますと全然違う楽器というのがこう、本当のとこだと思うんですけど・・・
松井 やっぱり、1世だと思いますけどね・・・。それがちょっとわかったんで、いろいろやってみたりして。
酒井 フレタを参考にされた・・・もちろん形もですね・・・何本か作られてますよね。
松井 そうですね。で、また今、またちょっと少し変えたいところがあるんで、それが型からまたやらなきゃいけないんで・・・
酒井 また新たに?
松井 型をまた今、作り終えたらまた作ってみたいと思ってるんですけど・・・
酒井 ああ、これ、いきなりちょっと、次の質問だったんですけど(笑)。将来の展望についてという所で・・・えー、その辺の話をまた・・・ちょっともう少し現実の話をしていただいて、と思うんですけども・・・そうしますとその、ブーシェのタイプみたいな、ブーシェを研究されて作った作品とか、フレタを作った、それぞれ難しさがありますね。
松井 そうなんですよね。で、ブーシェなんかも、前期の作品と後期の作品と、設計が全然違いますからね。
酒井 松井さんとしてはどちらのタイプで、こう・・・? あ、両方やりましたよね?
松井 両方やりたいんですけどね。前期の方はやっぱりほら、もう、トーレスの設計とほとんど同じで、彼、作ってますから。非常に難しいです。
酒井 後期のほうは・・・
松井 後期はあの、オリジナルの設計になったやつは、わりとコンスタントにいいのがね、今、できると思います。
酒井 前期のってのは、やっぱり50年代の半ばぐらいまでですかね? この辺は、ブーシェマニアの人はくわしいんで、僕が間違ったこと言うと、お叱りを受けるかも知れない(笑)。
松井 そうなんですよね(笑)。あの辺のも、まだけっこう残っているんですよね。それで日本にけっこう入っているからねえ。こないだのブーシェ展でもね。
酒井 昨年のブーシェ 展で、イタリアの・・・彼、なんていったっけ・・・弾いた人・・・
松井 グロンドーナ?
酒井 そうそう、グロンドーナが弾いたのなんかは、前の設計のですよね。
松井 あ、そうですか? あれは、よく知らなかったんだけど・・・50年代?じゃあ、前期だね。
酒井 某先生のところ・・・あ、まずいなコレ・・・いいや、これは消しちゃえ(笑)。
松井 あれ前期のやつだった?
酒井 やっぱり、今年も前期の見ましたけど、違いますよね。
松井 あの辺はだから、失敗するとね、低音がね、ありがたい低音になっちう・・・古い楽器の低音になっちゃうんだ。
酒井 あ、前期のタイプでやると。
松井 その辺がね、難しい・・・
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酒井 今日、ちょっと、松井さんがさっき、持っていただいてた、あれは・・・ 松井 あれはね、トーレスのだから・・・まあ、ブーシェの前期の設計・・・ 酒井 ですね。この、厚みとか、そういうのも全然違うんですか? 形とか・・・ 松井 そうですね、これはね、まあボディラインは私のボディラインなんだけど、 酒井 松井さんのオリジナルですね。 松井 だからまあ、ブーシェは、もうちょっと小ぶりなんだよね。だからそれも今、またちょっとやっております。 酒井 それでフレタのモデルの方を・・・フレタのモデルっていうか、まあ、何とかモデルっていうのは、あんまり銘打ってやるのはそんなに、松井さん好きじゃないっていう事で、まあ、あくまでも参考にしたって事で・・・先ほどの、元の作品を、自分でかみくだいて1回飲み込んで消化してという事でしょうから・・・なんかその、フレタのを見せていただいて、けっこう、横・裏の組み合わせがね、ハカランダのとローズのが、なんですけど、僕の感じでは、意外とローズの方が気が合うみたいな・・・
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酒井 そうですね、ローズ多いですね。1世、特にそうですよね。
松井 あの設計はローズの方がいいみたい。高いハカランダ使わなくていいと(笑)。
酒井 (笑)・・・ここでも、今井さんの時も出ました、ハカランダ至上主義ではないと。
松井 あの、稲垣さんの持っているブーシェは、ローズのやつもあるんですよね。
酒井 ブーシェで。
松井 あれもね、稲垣さんも言っていたけど、あれは、私も好きだなあ。
酒井 それは、後期の?
松井 そう、後期の設計で。あれはまだお使いになってるんじゃないかな、確か。
酒井 そこのところは、材料、どうしてもハカランダっていうのがこう、先にきますけど、やっぱり一概にそういう事は・・・
松井 そうですね。ローズでも、上手に作れば・・・製作家の責任ですね(笑)。
酒井 これは必ず入れておこう(笑)。
松井 上手に作れば、別に問題ないと思いますけどね。
酒井 ますます、今、材料が少なくなってますよね。その辺は、どうでしょうね・・・材料について、なんか、もっと違った材料を模索するというか・・・
松井 ああ、それは、出てくると思いますけどね。現にもう、材料屋さんのほうからは、知らない名前の材料を、どうですかって来てますからね。
酒井 で、本当にハカランダ、我々の立場から見ましてもですね、表板なんかもそうなんですけど、ちょっと見分けがつかないような、見事なジャーマンスプルースかなと思うと、実はそうじゃなかったり。これはハカランダかなと思うとそうじゃなかったり。
松井 そうですね。
酒井 まるで、魚屋さんでなんでもマグロだぞと言って売っているのが、実はいろんなマグロだったりとか、そんなような事ってありますよね。で、今はこういうような話で、将来、今、材料がどうなったかという話になったんで、このへんでいよいよ、今後の松井さんの、松井ギターの21世紀の展望をですね・・・
松井 ・・・・・・・・・・・・。今、展望してます(笑)。
酒井 あ、今展望してます(笑)。なんか、新しい型を今、また違ったのをちょっと・・・
松井 そうですね・・・だから、まあ、話くり返すかも知れないけど、いろんなものをやってみたいというのがありまして、その中で自分のオリジナリティみたいなものを出していけたらな、と思います。
酒井 それにつけくわえて、そういえば、その、傾向のところじゃないですけども、松井さんと言えばやはりショートスケール、もちろん11弦ギターなんかも一番最初に、セルシェルが初来日すると同時に作られてたと思いますし、今は、ショートスケールをね、一番・・・最初の頃から研究して、作られていたと思うんですけど、今後もやはりショートスケールのほうは?
松井 そうですね、やっぱりあの、弾きやすい楽器っていうのもね、それは・・・必要だし。
酒井 以前よりかなり、リクエストが増えてますよね。レディースサイズという言葉はちょっとよくないかも知れないですね。
松井 そうだね、よくないかも知れないね(笑)。
酒井 かえって、男性でも多いんですよね。
松井 そうだよね。やっぱり、楽に弾けたほうがいいもんね。それに、昔みたいにバランスがちょっと悪かったり、ボリュームがな、っていうのは、だいぶ少なくなってきましたもんね。自分ではわからないんですけど、どうしてこうなったのか(笑)。
酒井 あ、そこは消しておくように・・・違うか(笑)。
松井 なんていうかねえ、これもやっぱりいろいろ、大袈裟に言えば、研究した成果が少し出ているんじゃないかと自負してますけどね。
酒井 非常に、ここのところの作品も、バランスよくて、よく小さい楽器にありがちな、音がつまっちゃったりとか、そういうのがないですよね。小さい楽器なりの良さっていうのがありますよね。また違った個性っていうか、いいですよね。
松井 素晴らしい(笑)。
酒井 じゃあもう今後はいろいろ、先程あったような、まだまだ何でもトライという。
松井 そうですね。やっていきたいと思っています。
酒井 もうそろそろ、50ですよね?
松井 そうです、もう50。
酒井 50からますます前進という・・。
松井 がんばります。
酒井 ほんとに今後のまた新たなですね、楽器の展開を楽しみにしています。
松井 ありがとうございます。
酒井 いえいえ、今日はどうもありがとうございました。
松井 今日はどうもお招きいただきましてありがとうございます。
酒井 それであとこれ、P.S.、追伸ですけど、今日は、せっかく、松井2世がいらしてますけども・・・
松井 ああ、
酒井 あの、先程ちょっとお話うかがってましたら、だいぶギターの製作についてお詳しいかな、という気がしますが・・・
啓泰くん いえいえ、まだまだで・・・
酒井 あ、まだまだという事は、将来ついに、同じ道をいこうかなと?
啓泰くん ああ、あります、それは!
酒井 非常に、声、入ったと思いますけど、力強いお子さんの・・・やっぱり、いつも近くでねえ・・・ああ、これこそ本当に21世紀に向かっての、最高の、・・・
松井 あ、そうですね(笑)。
酒井 力強い一言、素晴らしい追伸でしたね。もう、いいシメで・・・ええ、これは、つたないインタビュアーを補足してくださる(笑)、最高の一言だという事で、今日は締めたいと思います。ありがとうございました。
松井 ありがとうございました。うんと編集してね(笑)。
松井さん長い時間楽しいお話をありがとうございました。